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05/18/2007

お木曳(粋ということ)

今回の記事は雑感。

侘び、寂び、幽玄などは学校で日本の文化として教わったような気がしますが
粋というのはどうだったか記憶にありません。

大衆的な美意識ゆえ文化としては重要視されていないのかもしれませんが
侘び、寂び、幽玄なんぞよりよっぽど生きた言葉ではないかと思うのですがね、
粋という言葉は。
「それが証拠に粋な計らい」なんて言い回しもしますし。

お木曳に参加してみて粋な人、粋であることを感じることができとても良かったです。
厳密な江戸風の粋とは違うのだろうと思いますが
まぁ地方にはその地方なりの粋ってものがあってもいいのでは?と思ったりしてます。

我が町河崎六ヶ町奉曳団は二俣町燕尾会さん、桜が丘さんと友好団で多いに助けていただき誠に感謝のしきりです。
友好というのもこれまた粋。町の青年団の皆さんを中心に奉曳が成功するよう頑張っているのを見てるとやはりこれも粋なことだと思う次第です。

ところで、私のように当日にだけ集まってくる曵き子さんたちは案外よく分からないまま曳きにきてる人も多いと思います。そういうよく分からないままの曳き子さんたちは自らは意図しないもののよく分かっていないからこそ危険な状態を作り出してしまう場合が多々あるようです。例えばねりが始まると怖いので綱を放してしまう人がいたりします。実はこれは危険なんだそうで綱を放した本人は大丈夫でもその周りて綱を持っている人達が綱の動きが急に変わるので転びやすくなるとか。そういうのは教えていただかなければ知る由もありません。

そんな中、燕尾会の副団長さんだったと思いますが私も含めそういうあまりよく分からないままの参加者に優しく解りやすくはっきりすっきり嫌みなくそしてごく自然に説明しておられました。これこそ年季を重ねた粋、氏のような歳の重ね方をしたいものだと深く心に残りましたですよ。

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