お木曳(感想Ver.脱線)
いきなりですが皆様は常日頃から社会というものを意識して生活されておられますでしょうか?
私はあまり意識していない、あるいは忘れている、てな手合でありまして。
今回の記事はお木曳に参加したことによって社会について考えてみたりしたのでそんな話をば。
万物は流転する、って誰の言葉でしたかね?
まぁ誰の言葉かはさておき世の中は変わっていくのは確かだと私も思います。
近年の変化というと日本では少子高齢化が顕著であるとは聞きますが
お木曳の現場でも実に若い人は少ないなぁ、と感じました。
お木曳への参加は任意なので単に参加していないだけなのかも知れませんけど。
そう、お木曳への参加は任意なのであります。
人それぞれいろんな動機、位置づけ、解釈でそれぞれが参加していると思います。
神宮を崇敬しているからとかお祭り騒ぎがしたいからとか20年に一度しかないからとか、etc。
私がお木曳に参加した理由というと生まれ育った地域の行事だから、ですね。
ある意味では近所付き合いと言えるのですがお木曳は地域の文化だと思うし。
端的に言えば郷土愛というのかも知れませんね。
お木曳は約1300年も前から行われている伝統的行事とはいえ
社会は常に変化をしていてその中で営われる行事であるがゆえ
伝統を守りつつも社会の情勢に合わせて変化している面もあります。
参加してみて伝統を守ろうとする文化も肌で感じたし
今を楽しもうとする文化もあって興味深かったです。
差詰め、文化ってのは生ものみたいなものかも、と思ったりしました。
その生ものの文化の中に参加できてたと思うとちょっと嬉しかったりします。
考えてみれば社会は誰かから与えられるものではなく
そこに参加している個々が作り出しているものであり自分たちのものです。
世の中には自分とは違う考え方があるので社会の行方を他人任せにしていては
自分が望むような社会になどなることはまずないのであり
まずは自らが社会に参加していることを認識することが必要かと思います。
そしてその社会は何の為の社会であるか考える行動することが
明るい明日につながるのかも知れません。(笑)
ここで話はちょっと替わります。
社会の変化といえば近年のネット環境などは一昔前には想像だにしなかったこと。
自分自身こうしてブログを書いたりしてますし。
で、アクセス解析を見るとお木曳を検索して飛んで来る方も結構多いです。
確かにお木曳を検索すると結構な量がヒットしてきます。
もちろん公式的なページもヒットしてきますが注目したいのは個人の日記やブログ。
これまでは各個々人がお木曵に関しどのような感想や意見をもっているのかなど知る由もなかったのが
そのごく一部でも知る事ができるようになったのは画期的です。
検索して読んでみるとやはり十人十色、千差万別いろいろあります。
概ね好意的な内容の感想や意見が多いのですが中にはボヤキや苦言などもあり興味深いです。
いやはやネットが自由に使えるってことは有難いですねぇ。
これからもそう願いたいものです。
以上、何のまとめもなくこれにて私のお木曳関連記事は終了にします。
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Comments
なんて読むかわからなかった。
お「きひき」と読むのね。
大阪で言うダンジリ祭りのようなもんかな。
と言っても、ダンジリも、見たこともない。
歳をとると繰り返されるものへ安住を求めて、若いときは、新型、最新、今までにないものを求めているんだと思う。
私、自分はマージナル(境界)人だと思ってる。だから常に社会を意識しているほうだと思う・・。どこの社会に入っても、おとなしくしていなかったら、変人扱いだしねぇ(苦笑)。
Posted by: quro | 07/06/2007 19:14
コメントありがとうございます。
当たり前ですが他人と自分は違いますからなにがしか他人の事を変だと思うのは当たり前と言えるのではないかなと思ったりしてます。ある意味では自分にとって他人は皆変人である、と。
でももって誰でも欲があってそれが活動の原動力になってる面があるので利己的になるのは自然な成り行き。
そうはいっても大方の人間は一人で生きてるわけじゃないので互いが快適になるよう一人一人が落としどころを探さなきゃなと思う次第です。
Posted by: かうじ | 07/09/2007 07:48